
小野幸吉

「ランプのある静物(A)」
本間美術館 Twitter部です。
現在本間美術館で開催しております【小野幸吉と近現代の洋画家たち】企画展(2022年10月14日〜12月12日まで開催)いよいよ12日で終了いたします。まだご覧になっていないって方に出展作家たちのご紹介をいたします。
山形県酒田市出身の画家・小野幸吉。
幼少期から病気がちだった小野は、16歳のころから絵に夢中になり酒田中学校(現酒田東高等学校)を中退し上京しました。
画家の林武等に学び、その成果あって昭和5年(1930)協会展(独立展の前身)や二科展などに入選。
20歳になった頃には新進気鋭の画家として高い評価を受けていました。
小野は画家として順調に階段を昇り始めていたいましたが「絵を描きたい」という気持ちと裏腹に病を患ってしまい、闘病の生活を余儀なくされます。
本格的に絵を探求し描き詰めたのは17歳から20歳までの4年間という短い期間でしたが、
命を削りながらも多くの作品を残し昭和5年にこの世を去ってしまいました。
今企画展「小野幸吉と近現代の洋画家たち」では小野に影響を与えた師や、
命短くも輝いた洋画家たちなどの作品の数々を展示しております。

林 武/「少女」
大正の末期から画家として創作活動を始め、色彩が強烈かつ攻撃的で厚く塗るのが特徴的で独特的な画風の人物画や風景画などを描きました。昭和5年には洋画家集団「独立美術協会」を設立した一人です。

里見勝蔵/「裸婦」
関西美術院で洋画家・鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)に師事し、東京美術大学(現東京藝術大学)に入学。卒業後渡仏し、ゴッホの影響を受けたという画家・モーリス・ド・ブラマンクに師事。人物や静物画は原色を荒々しく使って技法が特徴的。同じく林武等と「独立美術協会」を設立に尽力しました。

松本竣介/「風景(ビルのある風景)」
東京で生まれ中学3年生まで宮沢賢治のふるさと岩手県で育った松本は、中学一年生の時に聴力を失いました。昭和5年に中学を中退し上京。太平洋画家会研究所に通い本格的に絵の世界に入っていきました。東西の古典美術などを学び、透明感のある描法が特徴で風景画や人物画を数多く残しました。36歳という若さで亡くなり今年で生誕110年になります。

中村彝(つね)/「静物」
明治20年茨城県水戸市に生まれました。陸軍中央幼年学校に入学しますが肺結核を患い退校。のちに白馬会洋画家で本格的に絵を学び明治42年文展で褒状を受賞し頭角を現します。中村は病魔と闘いながら制作活動に熱中し様々な賞をもらい洋画家界に影響を残しました。大正12年、37歳という短い輝きの中で生涯を閉じました。

松田正平/「ばら」
大正2年島根県に生まれ、上京し川端画学校に通い東京美術学校(現東京藝術大学)に入学。のちに渡欧しパリのアカデミーでデッサンを学びました。戦争で帰国し精力的作家活動を始めます。長い間不遇の日々をおくりながら真摯に油絵と向き合い生涯制作活動に専念しました。

村山槐多/「差木地村ポンプ庫」
22歳という若さで亡くなった天才詩人で画家の村上槐多。
明治29年神奈川県横浜市に生まれます。大正3年に上京し高村光太郎の工房に通い絵を学び二科展に出品し一点を横山大観に買い取られたエピソードを持っています。そして日本美術院の研究員になり様々な作品を発表し注目されるようになっていきます。しかし大正7年に結核性肺炎を患ってしまい、翌年流行ったスペイン風邪にかかり22年の生涯を閉じてしまいました。

棟方志功/「タネサシ」
明治3年青森県の鍛冶屋の三男として生まれました。ゴッホに感銘を受けた棟方志功は極度の近眼から制作活動に支障をきたしていましたが川上澄生の版画に影響を受け昭和2年に木版画の制作をはじめます。昭和7年に春陽展に出品した版画がボストン美術館、パリのリュクサンブール美術館に買い取られ大きな転機となります。その後国内外でも棟方志功の存在を知られるようになり世界の棟方志功となっていきました。本間美術館でも6回個展を開催しております。
以前コラム【WABISABI】でも掲載しましたのでこちらもご覧ください。
本間美術館と棟方志功展
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