清河八郎 特別研究報告会

去る9月10日土曜日、庄内町文化創造館「響ホール」にて、清河八郎記念館主催の特別研究報告会に参加してきました。参加募集人員は200名前後の方々がおられたようです。

報告者は東洋大学文学部教授・岩下哲典氏。(高橋泥舟の研究者で有名です)

以前、「清河八郎はどんな人」という講演会にも出席され、高橋泥舟について大変面白いお話を聴きました。

今回の研究報告テーマは「清河八郎と尊攘派幕臣、山岡鉄舟・高橋泥舟」。

とても興味をソソルお題です。

大きく分けて5つのテーマがありましたが、一番中心にお話があったのは「ペリー来航には予告情報があった」という事実にに基づいた内容でした。
松田トシアキのものつくり 清河八郎


一般的な話では、いきなり黒船が浦賀にやって来た!というのが皆様が認識している情報ではないでしょうか。

しかし、岩下哲典教授等の研究の成果と発見で事前予告があったことがわかりました。

1853年に第一回ペリー来航。しかし一年前の1852年、長崎のオラン商館長ドンケルクルチウスからペリー来航予告情報(オランダ機密風説書)が長崎奉行老中阿部正弘に提出されており、ペリーが軍艦を引き連れて浦賀に来航すると。

更にドンケルチウスは長崎奉行宛で公文書も持参したそうです。

しかし江戸幕府は来航予告を極秘扱いにしてしまい、きちんとした対策を取らなかったようです。

さすが鎖国という姿勢がもたらした結果なのでしょうか。

1852年12月 御三家に別段風説書回達

1853年1月 薩摩藩、渋谷邸を入手(薩摩藩はペリー来航の予告情報を知って早速動いたようです)

1853年2月 老中阿部、有志大名の在府延期策

そして1853年6月 第一回ペリー来航 久里浜でアメリカ国書(大統領親書)を受け取りました。

かなり端折って内容を記載しましたが、清河八郎や山岡鉄舟、そして高橋泥舟等が世を動かすきっかけになった重要な出来事だったのだと思いました。

勿論、坂本龍馬や近藤勇等も同じ景色を見ていたことは忘れていけないことです。


歴史とは本当に面白いですね。

様々な方々が調べ、研究をし、そして発見し、情報を更新していく。

とてもやりがいがあり、奥深い作業で、それにとても面白い。

私たちも美術品などを通して 少しづつ歴史のひもを解き放っていけたらと思います。



最後にこの企画に携わった方々に敬意を表したいと思います。